タヒチアンダンス

■■■タヒチアンダンスの歴史■■■

 

ポリネシア人のルーツである東南アジアの海洋民族が紀元前10世紀から船旅をはじめ、

5世紀から10世紀頃に、タヒチを含む周辺の島々に定住し始めました。

そこから、文字を持たないポリネシアの人々は、文化や伝統、さらには神にささげるものとしてタヒチアンダンスを生み出していきました。

 

ところがヨーロッパからの船が16世紀~17世紀頃に現れ1820年代に受難の時代を迎えます。

ヨーロッパの宣教師達が「野蛮である」「卑猥である」と言うことを理由にタヒチアンダンスは全面的に禁止され、伝統と規約との押し合いが60年ほどの続いたのです。

 

しかし1950年代になると19年代後半から復活し始めた伝統のダンスを後世に残すため、ステップやモーションなどをまとめる動きが出始め、段々とタヒチの人々が再び踊れるようになっていきました。

1984年、タヒチの伝統的な踊りを伝えるお祭りとして[HEIVA]と言う昔からの踊りとして年に1度、盛大に踊られるようになって行きました。

 

現在、タヒチアンダンスはタヒチ本島でのイベント・ショーなどとして欠かせないものとなっているだけではなく、

芸術的なダンスとして全世界に知られているダンスとなっています。

■■■タヒチアンダンスの種類■■■

 

タヒチアンダンスといって最初にイメージされやすいのはなんといっても[Ote'a]です。

情熱的な打楽器のリズムに合わせて腰を回す女性と膝をあわせる男性が印象的なダンスです。

 

これに対して[Aparima]=手のキス、と言う意味を持つダンスがあります。

タヒチウクレレや歌にあわせてハンドモーションをまるで手話のようにして踊りの意味を手で伝え、その内容は自然や神話の事や日常的な伝統など幅広くに及びます。

 

アパリマの中で特に[Afuroa]=長い布、というジャンルを分けて呼ぶ事があります。

言葉の通り、ドレスのような下に長いドレスなどを身にまとい、優雅に踊る曲の事を特出してこう呼ぶことがあります。

 

 

タヒチアンダンスの種類としては他に円座になったダンサーの中心で男女が踊る[Pa'o'a]というものやダンサーが円になって踊る[Hivinau]といった種類があり、この4種類を全て組み合わせてタヒチの踊りの祭典[HEIVA]では壮大なショーが繰り広げられるのです。